浮世絵の街

2012年1月12日

蒐集癖

昨年の3月11日の震災は、直下型ではなかったから東京で建物の倒壊はほとんどなかったわけだが、そのほとんどなかった九段会館の天井落下で、30年来いっしょに仕事をしてきたスタイリストが被災してしまった。たまたま病院への搬送が早かったため、一命をとりとめ、今ではリハビリをしながら職場復帰している。
震度6の経験はしといてよかったが、その後の余震にすっかり馴れてしまったのが怖い。震災直後は携帯の緊急地震速報の音に跳び上がっていたのに。いつ起きてもおかしくないといわれる「東海南海大地震」に備えが必要とは知っていても、いまいち行動に移す緊迫感がとぼしい。
わが家の震災対策として、いちばん問題になのは「レコード」。数千枚のレコードが壁の棚いっぱいに収められている。レコードは一枚250〜300gくらいだが、数千枚となるとたいへんな重量になる。もし直下型が発生したら、レコードに押しつぶされる危険性があるのだ。早急な対策が必要だ。
収納する場所がなくなったために、レコード蒐集熱を無理やり冷ませてかれこれ10年になるが、蒐集癖それ自体が収束したわけではない。
新聞の書評欄で紹介されていた「国芳一門浮世絵草紙 侠風むすめ (小学館文庫) (河合和香:著)を読んで、休眠させていた蒐集癖がむくむくともたげた。浮世絵である。頭の中でビジュアル化しながら本を読む私は、それがしにくい時代小説は苦手で、ほとんど読んだことがなかったのだが、絵師歌川国芳の娘が主人公、という設定にはまってシリーズ全部を読んだ。老中水野忠邦の天保の改革による息苦しい時代、国芳一門のほか、葛飾北斎や国貞(豊国三代)、遠山金四郎景元といった登場人物がいきいきと描かれていて、頭の中が浮世絵全盛時代にタイムスリップ状態になった。そしてその後、仕事の資料として、神田の専門店で浮世絵の並品を手に入れ、その繊細な表現や存在感にすっかり魅了された。
国芳「当盛今戸の夜げしき」手にして驚いたのは、その刷られている和紙の薄さであった。よくもこんなに薄く儚げな和紙に、これほどのデリケートなグラデーションや多色刷りができるものだ、と。(あとで知ったのだが、時代や状況により和紙の質も変わっていたようで、古い時代のものでは、厚みのある奉書紙などに刷られたものが多い)浮世絵の本物は、美術展やそうした浮世絵を扱う店でずいぶん見ていたので、初めて本物の浮世絵を手にしたときに、これほどのゾクゾク感があることを予期していなかったからなおさらだ。
さらに、2011年暮れから年をまたいで開催された「没後150年国芳展」を観覧して、蒐集癖は加速していく。浮世絵のコレクション願望は膨らみ続ける。紙だからレコードみたいに地震対策も必要ないし、場所もとらない。しかし浮世絵というものは、いわゆる美術骨董に分類されるアイテムで、一般的な相場を考えると、庶民にはおいそれと手を出せないジャンルなのである。国芳展を観覧していても尋常な眼で作品鑑賞ができない。「荷宝蔵壁のむだ書」や「白面笑壁のむだ書」の前では「これは状態が良く、余白もきちんと残っているから500万円くらいかな」なんて感じで、なんともなまぐさ鑑賞だ。
レコードには「オリジナル盤」という価値のあるレコードがある。いわゆる書籍における「初版本」みたいなものだ。歴史の深い書籍の初版本には、けっこうな値がつけられるが、レコードのオリジナル盤はその多くは数千円~数万円程度で、人気のあるアルバムで状態のよいものでも数十万円がせいぜい?だ。
「高輪月の景」オフィスのある高輪はすぐ海だったのだ浮世絵はそういうわけにはいかない。それほど希少性のないものでも1~3万円。人気の美人画や大首絵など状態が良いものは10万円はくだらない。さらに作家の人気度や希少性が加わると50万や100万などざらにある。国芳展の戯画など、状態が良ければほとんどが数百万する。願望も癖も、経済状態がすべてを支配する。頭冷やさなくちゃ。




更新日 2020-04-26 | 作成日 2020-04-26