HOME > ECSTASY AUDIO > ECSTASY AUDIO コラム


更新日 2020-04-26 | 作成日 2020-04-26


「オーディオの面白さって何だろう」



「スイングガールズ」(矢口史靖監督2004年公開)という、東北の田舎の女子高校生達が、ビッグバンドを組んでジャズを演奏できるようになるまでを描いた青春映画をご存じだろうか。同じ矢口史靖氏が監督し大ヒットした「ウオーターボーイズ」(2001年公開)の、二匹目のドジョウみたいなこの映画で、竹中直人演じる高校の数学教師は、楽器を扱えないネクラなオーディオマニアという役どころだった。ご丁寧に、音楽教室でサックスがまったく吹けなくて、講師に呆れられるシーンまで挿入されている。

映画観賞中、りっぱなオーディオを設置した部屋のJBLスピーカーの前で、竹中直人がジャズを聴きながら悦に入っているシーンで、あることを思い出した。以前、仕事で打ち合わせをしているとき、私がオーディオを趣味にしていると知ったスタッフのひとりから「あなた楽器使えないでしょ。オーディオってのは楽器を使えない人の代償趣味なんですよ」と、したり顔で決めつけるように言われたことだ。

「んなわけねーだろ!」怒りがわいた。言葉には出さなかったが。

だけど、「オーディオマニア」の世間での一般的位置付けなんていうものは、たぶん竹中直人演ずる高校教師のまんま「ネクラでオタクで楽器が扱えない地味男」なのだ。「マン盆栽」でも活躍されている「パラダイス山元」氏は、ミュージシャンでありオーディオなんかもやっている多才な方だ。そのパラダイス山元さん、手元にある「あの時代、オーディオの憧れを今再び」というタイトルの文庫本の中で「オーディオには興味があるが、マニアにならなかったのは、オーディオやっている人ってファッションがダサいので、そういう人たちと一緒になりたくないから」というような趣旨のことを書いている。とても共感できる意見である。オーディオに限らず、趣味にのめり込んでいるマニアという人種は、金があればその趣味につぎ込む。ファッションにお金をかけるような感性はゼロで、ねずみ色の着古しで秋葉原を闊歩している各種のマニアたち。

でも、本来オーディオっていうのは、その時代の科学技術の粋と、音楽芸術の粋が常にペアリングした、科学と感性が一体になった趣味。美意識や感受性を切り離してできないはずの趣味なのだ。だから私はファッションはもちろんインテリアその他、選択する上で美意識を必要とするすべてのアイテムには、良質なこだわりを持って生活に取り入れている。オーディオ機器のインダストリアルデザイン、レコードジャケットのグラフィックデザイン、それらを収納するインテリアのプロダクトデザイン、などなどすべてに同じ感性で接している。美しい精緻なデザインのアンプを操作する持ち主の服装が、着古しのねずみ色じゃいけない。生きる上で、すべてのことがらの趣味性には一貫性がなければ。

オーディオには、技術(オーディオ機器)と感性(音楽ソフト)という、ふたつの要素が深く影響し合う面白さがある。同じ要素を持った、デジタル技術の恩恵を最大限受ける趣味に「ホームシアター」がある。最先端のデジタル技術によって、ハイビジョン映像まで家庭で楽しむことができるようになった。だが、映像はいかに精度が上がって精細な画像になったとしても、その再現が平面(二次元)であることに変わりはない。オーディオによる音楽再生では、生音も再生音も空間に放出される同じ音の振動であり、その努力の行き着く先には、生音と同じ、果ては生音を越えるほどの感性に響く音が得られる可能性があるのだ。

オーディオの愉しみは、こうした音楽再生の可能性の高さと、その可能性を実現するためのハードやソフト、それらにまつわる豊富なアイテム・要素に、最大限の感性と手間暇を駆使でき、それを味わえることだと思う。ここでいう感性には、もちろん音楽に対するものも含まれるが、楽器ができないから音楽的感性が鈍いというようなことは絶対にない。音楽、ジャンル、楽器、音楽家、そしてそれらの歴史的背景についての造詣が深ければ、そのぶん自分が追求するオーディオの再生音へ、よい影響があるのは当然ではある。

単にオーディオ機器ひとつ選ぶにしても、いい音が出るかどうか(出そうか)以前に楽しみはある。たとえば「これはいい音がする」ってオーディオ評論家が絶賛して推奨したとしても、デザインが気に入らなけりゃ絶対欲しいと思わない。そのオーディオ機器をつくっているメーカーにしても、好きなところと嫌いなところがある。スピーカーなんて、目をつぶらない限り、聴いているあいだずっと視界に入るから、気に入らないデザインだったら、好きな音楽を聴くのも嫌になってしまう。「いい音」というのだって人それぞれ。「好きな音」がイコール「いい音」とは限らないのだ。とんでもないひどい(と私は感じた)音で、悦に入って聴いている人もいるし。

苦労して自作したスピーカーやアンプから、音楽が奏でられたときの自画自賛の喜び。オーディオ雑誌のグラビアページにキラキラと紹介されるオーディオ機器を眺めては、手に入れたときの喜びを夢想すること。そんなあこがれのオーディオ機器を月賦(なつかしい)で手に入れ、自宅で梱包を解くときの喜び。そして今まで使っていた機器と取り換えて、つまみをいじったりボディを撫でたり触ったり、説明書を隅から隅まで読み込んだり、電源を入れて初めて音出ししたときの喜び。そんな喜びをくり返し味わいたいがために、手間ひま時間とお金を惜しまずつぎ込んでいく。そのくり返しの中には、味わえるはずだった喜びに達せずに、がっかりしたり自己嫌悪に陥ったこともしばしば。これって、何かに似てるなー。

そうだ!これって恋愛関係とすごく似ている。オーディオやっているのが、ほとんど男という理由にもなるな。オーディオ趣味を40年近く続けることができた一番の要因は、これだ、恋愛関係だ。だから何度懲りてもまた続けちゃうんだ。

オーディオには、その喜び、エクスタシーを味わえるさまざまな要素がある。まずハードウエア。オーディオー機器はアンプ・プレーヤー・スピーカー以外にも、たくさんのアイテムやアクセサリー類がある。それらのハードを選ぶ喜び、買う喜び、所持する喜び、使う喜び、作る喜び。そしてソフトウエア。オーディオ機器で聴くソフトには、レコードとCD、DVDなどがあるが、それらソフトに収録されている音楽を聴く喜び、高音質を味わう喜び、ジャケットの美しさやレーベル探究の喜びなど、マニアックに得られる喜びがたくさんある。そして、究極はリスニングルームの追及の喜びだ。金と情熱の引き換えに、エクスタシーがいっぱいだ。

エクスタシーオーディオか。普通くっつかないこのふたつの言葉が組み合わさったとき、これまで40年もやって来たオーディオが、にわかにこれまでとはまったく違った面白さを帯びてきたのだ。


サイトの免責事項

■オーディオという趣味の世界が、少しでも活気づくことを期待しているオーディオファンが、オーディオを愉しんでいる方に読んでいただくために運営するサイトです。
■良い音を、無駄なお金をかけず、寄り道せずに手に入れるために、これまで体験・経験してきた紆余曲折を紹介していますが、読まれた方がご自身のシステムで同じことをしても、同じ結果が得られるとはかぎりません。
■「エクスタシーオーディオ」のタイトルのとおり、鄙猥な表現が随所にございます。行間の読めないタイプの方は閲覧しないでください。
■技術者ではありませんから、間違った技術用語を使ったり、技術的なことで誤解のある表現が多々あるはずです。ごめんなさい。
■許可なく特定の企業名・ショップ名・個人名などを出して話を進めている部分があります。誹謗中傷をするつもりはありませんので、どうかご理解ください。