フェアトレード

甘くて苦いコーヒー

コーヒー好きの私は、一日4〜5杯のコーヒーを飲む。特に朝食後の一杯は至福である。先月の新聞に「一日4〜5杯のコーヒーで、充分なポリフェノールが摂取できる」という嬉しい記事があった。昨年の7月には「認知症予防にコーヒー有効?」なんて記事も。嗜好品を常習的に摂取して、健康や老化防止につながるなんて、嬉しいにもほどがある。
先日、カリタのコーヒーフィルターを東急ハンズで仕入れた帰り、近所のブックオフでコーヒーつながりなCDをみつけた。「Koffee Brown」という黒人男
女ユニットの「mars/venus」というタイトルのR&Bアルバムだ。「Coffee」じゃなくて「Koffee」。アルバムジャケットには、真っ黒けなコーヒー豆で、ベン・ケーシー(古!)な男と女の記号。裏もCDもライナーノーツにも豆だらけ。黒人の男女ユニットというかなり珍しいアルバムなので、期待しないで音だししたら、なかなかノリのいい作品だった。2001年発売のアルバムで、
その後10年近く次作が出ていないところをみると、どうやらこのアルバム、二人にとっては、ジャケットの煎り過ぎた豆で淹れたコーヒーのように「苦い思い出」になっちゃたのかもしれない。黒人版「トワ・エ・モア」って感じか、違うか。
だいぶ前のコラム「あらま!なアロマ」でもふれたが、インターネットのおかげで、焙煎したばかりの良質なコーヒー豆が簡単に手に入るようになった。元々ブラックでしか飲まない私にとっては、なおさら、おいしいコーヒーをいつでも飲める喜ばしい時代である。
ブラック・コーヒーというと、ジャズファンならペギー・リーのボーカルアルバム「ブラック・コーヒー を思い浮かべるのではないだろうか。オリジナル盤ジャケット写真のコーヒーカップは白だ」とかいうマニアな話はさておき、コーヒーは日常生活に溶け込んだ嗜好品であるから、煙草と同様、音楽にかぎらずあらゆる場面で描かれる。格好良く。


昨年公開されたジム・ジャームッシュ監督の映画「リミッツ・オブ・コントロール 」では、主人公の男が情報提供者と待ち合わせする店で、かならずエスプレッソを二つ注文するシーンが、なんだか意味深で印象的であった。あれが紅茶だったらたぶん絵にならないだろう。そんな味わい深いコーヒーの、できることならば味わいたくない、苦い話である。


1杯のコーヒーを通して、地球の裏側の人々の生活と世界の現実を、あなたは深く知ることになるだろう」
WOWOWで「おいしいコーヒーの真実」というドキュメンタリー映画を観た。この映画、マイケル・ムーア監督ほどの辛辣さこそないが、毎日すくなくとも5杯は珈琲を飲むヘビーユーザーのひとりとして、目を背けてはいけない珈琲豆生産現場の現実を知ることとなった。
映画の舞台はエチオピア。コーヒー生産者の地位待遇向上をめざして活動をつづける人物に焦点を当てて、貿易不均衡がもたらすさまざまな問題をクローズアップしていた。
さらに理解を深めようと「おいしいコーヒーの経済論 」という、映画と似たタイトルの本を読んだ。この本は96年以来続けてきたタンザニア現地での調査から、キリマンジャロ豆栽培農家の実態を明らかにしている。
かいつまんで言うと、コーヒー豆の基準価格は、ニューヨークの先物取引きの場でその相場が決定する。投機家の思惑でコーヒー豆の価格は独歩の相場をつける。その金額は、当然のことながら生産者が負担している農薬その他の生産経費といっさい連動しない。また、多国籍企業による買いたたきも、コーヒー豆価格を不当に下げる。一杯400円で愉しむコーヒーの、豆の生産者が受けとれる額はわずか数円なのだそうだ。
解決策の一つとして、コーヒー豆もフェアトレードによる取引き、販売がおこなわれている。日本での代表的なものでは、「トップバリュ」というネーミングの、イオングループが展開するショップで販売されている、フェアトレードコーヒーを使用した数々の商品がある。
こうした企業活動により、商品そのものの品質だけでなく「社会貢献志向の品質」という新しい品質概念が生まれ、取り扱う企業に付加されるという。
私は「田代珈琲」というインターネットショップをよく利用している。このお店では「カップオブエクセレンス」というスペシャルティコーヒー豆を、生産現地に赴き直接買い付けるという、認証なしの実質的なフェアトレードをしているそうだ。カップオブエクセレンスとは、発展途上国の経済的自立を促進する目的で、国連等によって進められているプロジェクトのこと。中南米を中心とした九つのコーヒー生産国で年一回開催されているということだ。
フェアトレードが企業の免罪符みたいな感じなのに対して、この田代珈琲はより積極的な「美味しいコーヒーを飲むと生産者の応援になる」という、いい立ち位置での商売をしている。
橋本治著「大不況には本を読む」にも、農業は工業製品のように「嗜好性」で新しい欲求をつくりだすことができないから、品質という付加価値でしか欲求は生まれない、という主旨の一節があった。最近、日本の食品業は、中国の富裕層に向けて「安全」という品質で、中国国内より圧倒的に高価格な商品の受注に成功しているという。
美味しくて安全な食品が流通され、それが生産者と消費者ともに喜びにつながるなら、とりあえずは結構な話ではないか。

更新日 2020-04-26 | 作成日 2020-04-26