腰痛は怒りである

2009年4月10日

腰の痛みは心の痛み

今年1月にNHKBS2で放送した「生放送!日本のフォーク&ロック大全集」。正月休み明け、暇な中年オヤジにはたまらない企画だった。進行役のばんばひろふみと谷村新司が、生放送ならではの会話をしていた。就寝中のトイレの回数についてだ。ばんばんが「一回は必ず行く」と言うと谷村は「うーん、一回、いや1.5回かなー」とか「寝る前に残尿感がないようにちゃんとしてから寝る」とか、NHKだから収録番組だったらぜったいカットされたであろう愉快な会話だった。
中年男たちは、仲の良い酒の席でならトイレの回数の話題でも盛り上がれる。自虐ネタ。老化のせいか「どんなに遅くなって寝ても朝5時には起きちゃうんだよね」なんていうこと話題でも会話になる。経験した病気でも盛り上がったりする。内視鏡で何センチ切りとったとか、武勇伝のような闘病話に花が咲くが、そのうち妙にリアリティがでてきてしまい、場が暗くなって話が途切れることになる。腫瘍の話で酒が旨くなるわけがない。中年女性たちがつるむと更年期障害の話でもするんだろうか。婦人科系じゃ盛り上がりそうにないか。
カラダ絡みの話題は、ともすると下ネタに落ちてしまいがちなので、女性が同席しているときは気をつかう。そんなときは、酒席にかぎらず仕事の合間の雑談などでも「腰痛」の話をすると、はばかる心配がなく仕事の打ち合わせではばらけた座がまとまって話が盛り上がる。老若男女、ほとんどの人が多少なりとも腰痛持ちなんだろう。腰痛はよっぽどの重症でなければ病気そのものという認識がないから、気軽に話ができるということもあるかもしれない。


腰痛は<怒り>である(CD付) という本が手元にある。2002年4月の初版だから7年前に出版されたもの。ニューヨーク大学教授で医学博士のジョン・E・サーノ博士が確立した腰痛治療法「TMS理論」に基づき、TMSジャパン代表という日本人が著している。簡単にいうと、腰痛の多くは腰そのものには原因がない。腰痛の多くはストレスなどに起因した心身症により発症するというのである。サーノ博士がリハビリテーション医学に取り組むようになって、患者の訴える症状と検査の所見が一致しないことが多々あり疑問に思ったことが、この理論発見のきっかけということだ。おもいっきり簡単に例えていうと「小学生が宿題を忘れたりで学校に行きたくないとき(ほんとに)お腹が痛くなる」というようなことが腰痛でも起こっているというのだ。もちろん、検査所見がそのまま症状に表れている本物の腰痛の人もいるし、内臓疾患などの症状として腰痛が起こることもあるのは言うまでもない。
「筋骨格系疾患は胃・十二指腸疾患の身代わりになっている」というサーノ博士。ストレスで胃に孔があく可能性より腰痛になる可能性が高い、ということだ。胃・十二指腸潰瘍は、ストレスが原因だと知られるようになり減少したが、筋骨格系疾患はストレスと結びつけて考えられていないため、増加する一方だというわけだ。逆に考えれば、ストレスが胃や十二指腸に働けば重篤な症状となり、開腹手術が必要になるかもしれない。それが腰に向かえば、少なくとも手術するような、生死に関わるようなダメージを受けることはなくなるわけで、腰痛は安全弁になっているという考え方もできる。


ストレスによって自律神経の調子が乱れ、起立性低血圧をはじめとする、さまざまな心身症を引き起こす。「TMS理論」による腰の痛みの直接的原因は、血流不足によって起こる酸素欠乏である
「痛みという現象は、身体的要因と心理社会的要因という二つの要因が混在した精神身体領域問題である」心の状態と痛みとの間には密接な関係があるのだ。そもそも痛みとは生命の危険を知らせ、身の安全を守るための危険探知のためにある原始的感覚。初期には「特異性理論」とよばれるもので、痛みの強さは加えられた刺激の強さに比例すると説明されていた。だが、プラシーボの研究者ピーチャーの、第二次大戦中の負傷兵士に対するモルヒネ使用に関する研究により、痛みの感じ方は心理社会的要因によって大きく変化する、つまり痛みの「特異性理論」の矛盾点が明らかにされたのだ。この「特異性理論」とは違う「感情理論」といわれるものがあって、痛みは近くではなく、情緒であるとする考え方で、不安、抑うつにならぶ第三の病的情緒であるとする説。


TMSとはストレスからの「防御」によって起こる痛みなのだ。
わたしたちは認めたくない不快な感情を知らず知らずに抑圧している。そうして意識下に抑え込んで、自分自身忘れていた感情が再浮上して意識に上ってくるのを防ぐために、何か他の意識に目を向けさせる必要がでてくる。その他のものこそが痛みなのである。痛みがあることで、不安や恐怖が意識の大半を占め、自分自身の注意を身体に引きつけておくことができる。痛みに注意を向け続けていれば、心の安定が保たれ、精神的破局を避けることができるのだ。だから、勇気を持って抑えていた不快な感情に目をむけ観察することで、注意を引きつけることが目的だった痛みは、その存在する意味をなくし消え去るというわけだ。無意識のうちに「心の痛みを味わうより身体の痛みを味わうほうがましだ」と判断しているのだ。


そうしたストレスを生み出す感情とは「怒り」である。TMSの原因となる無意識下に抑圧された怒りは、次の三つ。
1.日常生活における怒り
2.幼児期に受けた心因外傷(トラウマ)による怒り
3.欲求を満たすために自ら課したプレッシャーによる怒り


特に、1と2の怒りが外から受けるストレスやトラウマであるのに対し、3つ目の怒りは自身の性格に起因するもので「タイプT性格」といわれてる。
「タイプT性格」は次の6つの根本的欲求に起因している。


1.完璧でありたい・・・高い理想と道徳的規範を持つ、自己批判的で他人の批判に敏感
2.人に好かれたい・・人を喜ばせたい、世間からはいい奴、よい母親、よい父親と思われたい衝動
3.見捨てられたくない・・・歳をとったり独りになっても、見捨てられたくないという無意識願望
4.満足したい・・・生活のあらゆるシーンあらゆるものに満足を求める
5.強靭な肉体でありたい・・・たくましい、丈夫な、セクシーな身体を求める
6.死にたくない・・・死は避けられないという事実に対して無意識に憤慨している


日常生活上のストレス、幼児期のトラウマなどにこの「タイプT性格」が合わさって、怒りが蓄積されていく。抑圧されつづけた怒りはやがて隠し通すことができなくなり、TMSとして腰に強烈な痛みを起こすことで、強引に意識を怒りから背けるというわけだ。だから抑圧された怒りが強ければ強いほど、TMSは重症になる。

ここで、もう一冊の本を取りあげる。「夏樹静子」著「腰痛放浪記 椅子がこわい (新潮文庫) 」。激しい激痛で起き上がることもできなくなった著名な推理小説作家である筆者が、日本中のあらゆる療法の施療も甲斐なく、神頼みまでして3年間苦しみ続け、ついに観念したように、静岡にある病院の心理療法士の隔離治療によって完治するまでの闘病記である。完全隔離された病室で、医学的治療は「何もしない」で、ただ自分と向きあう時間をつくっただけで、ひどい腰痛が完治してしまったのだ。原因は腰にはなかった。これも簡単にいうと、純文学が書けない作家としての自分を正視したくないという心因が、腰痛という症状を起こしていた、ということだ。小学生の腹痛と一緒。もちろん、本の中ではっきりとそう言及しているわけではないが、「腰痛は怒りである」から続けて読むと、あきらかにこのことが原因だったことが読みとれる。「腰痛は怒りである」ことの実録ドキュメンタリーとして面白い読み物になっている。
1月某日の朝日新聞「体とこころの通信簿」で慢性腰痛が記事になっていた。「ストレスや社会的要因も関係」という見出しで、腰痛の軽減に、ストレスに対する心理的なアプローチが大切、とサーノ博士の理論をすくい上げた記事になっている。
頑固な腰痛。その原因が腰にはない、と医者から言われたら多くの人は憤りをおぼえるでしょう。
でも、それが定説になりつつあるのだ。


更新日 2020-04-26 | 作成日 2020-04-26