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エミ・マイヤーとジェンダー


ジェンダーとオヤジ


CDショップの「女性ボーカル」アルバムの前には、ジェンダーにからめ捕られたような、ジャズ好きオヤジたちのやに下がった顏がぶらさがっている。ジェンダーバイアスというほどの悪影響はともなわないものの、その嗜好は男性目線による女性の価値観で固められている。
もちろんそうした嗜好に叶うようアルバムジャケット撮影がされていたり、選曲がされていたりと、いちばんのターゲットに買わせるためのプロデュースも見え見えだ。美しい歌手ならそれを、スタイルがよいならそれを、最大限アピールしている。ほんとうは、そのアルバムの音楽性とはなんの関係もないんだけどね。

このところよく聴きいているCDがある。エミ・マイヤーの「パスポート 」というタイトルのCD。
「エミ・マイヤー」シンガー&ソングライター。日本人の母親とドイツ系アメリカ人の父親とのハーフだそうだ。YouTubeで観るエミ・マイヤーのピアノの弾き語り姿は、エキゾチックで美しい。声は、キャロル・キングとノラ・ジョーンズをシェイクして、カーリー・サイモンを薬味にふりかけたような、明瞭なハスキーボイス。

音楽の好みなど千差万別だ。ジャンルが好みに合っていたとしても、特に歌ものは、曲の好み以前に、声質や歌唱法など生理的な好き嫌いが先にたつ。歌手の容姿やパーソナリティーのほうが、曲の好みに優先されることだってある。だから、アルバムの推薦をするようなことをするのは、はじめで最後にしたい。
曲名■「君に伝えたい」(映像なし)
「パスポート」と題されたこのアルバム、全曲日本語で歌っている。デビューアルバムは(ボーナストラックを除き)全曲ネイティブな英語で歌っていた。シンガーソングライターであるエミ・マイヤー、この日本語の歌詞も自分でつくったのだろうか。

「愛」とか「夢」とか「人生」とか、使わない好感の持てる歌詞。奇妙な韻を踏んでいるようなフレーズもある。
「約束」という曲の歌詞の一節。

私が欲しいものを あなたがくれるか分からないし
あなたがくれるものを 私が欲しいか分からないし

いつ気分が変わるかもしれないのに
約束なんて 可笑しいじゃない
いつだって お互い好きにするんだから
言葉だけじゃ 物足りないんじゃない

あなたに何が見えるのか教えて
あまのじゃくな夜にも
天の川に舞う蛍みたいに
自由になりたいの

〜〜〜〜〜〜

最後の方の、
「あまのじゃく」な夜にも
「あまのがわ」に舞う蛍みたいに
なんて言葉、日本人の普通の感覚じゃ並べられない。



女性ボーカルに対する一般的な形容の言葉を探してみた。
セクシーな・キュートで・可憐な・清楚・爽やか・豊潤な・きれいな・ドリーミー・甘い・艶やか・ムーディな・優しい・ゴージャス・しっとり・チャーミング・コケティッシュ・生々しい・色気・ミステリアス・気だるい・瑞々しい・成熟した・情熱的・若々しい・大人の・甘美な・しなやか・涼やか・お洒落な・etc.・・・これらの言葉の多くが、男の価値観からでてきたジェンダーなフレーズだ。

エミ・マイヤーのアルバム「パスポート」には、こうした言葉がどれもあてはまらない。不思議な感性にあふれたアルバムなのである。聴いていると、なぜか落ち着かない気分におそわれる。ゾワゾワとして、いらだつような奇妙な感覚に囚われていく。なのに、しばらくすると聴きたくなる。エミ・マイヤーの日本語の歌唱にその原因があるようだ。カタコトなのだ。しかも言葉の多くに「濁音」がかぶさる。日本語が訛る。なのに、耳穴におしよせてくる、言葉が、意味が。英語で歌ったファーストアルバムの方は、ふつうに上手な歌唱であって、ちっとも変じゃない。

カタコトで歌う外人歌手といえば、わたしの世代ならフランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形 」か、ダニエル・ヴィダルの「オー・シャンゼリゼ 」あたりだ。どちらも美しい容姿の歌手であった。可憐でキュート、コケティッシュで爽やか。さっき並べた形容詞がたくさんあてはまる。だが、エミ・マイヤーの日本語の歌唱には、どんな言葉もそぐわないのだ。聴いてはいけないのに聴いてしまったような、とでもいうのだろうか。罪悪感に似た奇妙な苛立ちが、癖になる。くり返しつづけるマスターベーションみたいだ。

若いころ、つき合いはじめた女の子のアパートを訪ねたことがあった。冷蔵庫に切れていた食材を、私を部屋に残して買いに出かけた。まだコンビニなんかない時代。しばらく取り残され、手持ちぶさたな時間を味わっていた。勉強デスクとベッドと、4段の安物のタンスだけの、飾り気の少ない小さな部屋だった。その白いタンスの、いちばん下の段の引き出しが、数センチ引き出されたままになっていた。何気なく覗くと、黒いなにかが目に入った。一瞬、アパートの階段に耳を澄ませ、それからそっと引き出しを引いた。中に見えたものを指先で確かめたとき憶えたあの感じ。そんな感じ。分かるわけない?たいていの男なら分かるんじゃないだろうか。
男が、女の気持ちを、話を、ある部分からさき、途方に暮れるもどかしさを味わった経験があるだろうか。そんな感じだ。やっぱり分からないか・・・。

曲により、転調というか曲調が変化するところがある。これも、聴いていて女性の二面性を表しているような、深読みをしてしまう原因のひとつかもしれない。

これまでの音楽鑑賞の姿勢にはなかった味わいがこのアルバムにはあった。言い方を変えれば、ジェンダーな売り言葉をいっさい拒絶した、希有な女性ボーカルアルバムなのだ。エミ・マイヤーを聴いたあとだと、椎名林檎がバンカラに歌う、巻き舌の隙間に隠されている「媚」までが、耳についてしまう。
このCDを、こうなることが分かってつくったのだとしたら、すごいプロデュースだ。
オーディオ的な音質も良く、エコーのかけ方も基本デッドで、曲の内容に合わせて量を変えたり、また曲調の変化とともにエコーを増やしたりと、上手な計算が施されている。ピアノトリオをベースに、ホーンやパーカッションが入るアレンジも良い。
YouTubeでも数曲聴ける。一聴をお勧めする。



更新日 2020-04-26 | 作成日 2020-04-26