「意味がなければスイングはない」村上春樹

2008.6.23

すべての音楽評論関係本がこんなに面白いのだろうか


ちょっと格好つけて、一冊目は村上春樹氏にした。「ジャズ本はこれを読め」というタイトルではじめたコーナーだが、初回に紹介するこの本はジャズ専門書ではない。登場するアーティストは、ジャズ・クラシック・ロック・フォーク・Jポップとにぎやかだ。だけど、やっぱりこういう名文を読んじゃったら、紹介しないわけにはいかない。


書 名:意味がなければスイングはない
著 者:村上春樹
発行所:文芸春秋

目次を転記してみた。

シダー・ウォルトン 強靭な文体を持ったマイナー・ポエト
ブライアン・ウィルソン 南カリフォルニア神話の崩壊と再生
シューベルト「ピアノ・ソナタ第十七番二長調」D850 ソフトな渾沌の今日性
スタン・ゲッツの闇の時代1953-54
ブルース・スプリングスティーンと彼のアメリカ
ゼルキンとルービンシュタイン 二人のピアニスト
ウィントン・マルサリスの音楽はなぜ(どのように)退屈なのか?
スガシカオの柔らかなカオス
日曜の朝のフランシス・プーランク
国民詩人としてのウディー・ガスリー





アーティストのことをよく知らなくても、目次を眺めただけでなんだか読みたくなっちゃうでしょ。そして読んだら、とりあげられたアーティストの音楽を聴きたくなっちゃうことうけあい。オーディオ季刊誌「ステレオサウンド」で、2003年春から2005年夏にかけて連載された記事のブラシアップ版だ。私が買うステレオサウンド誌は、年末に発行される「ステレオコンポグランプリ特集号」だけなので、2話分しか読んでいなかったということになる。


この本にジャンル名をつけるとしたら「音楽評論エッセイ集」てなところか。評論集というにしては面白すぎる?し、エッセイというには内容がマニアックだ。ステレオサウンド誌にこの連載をすることになった経緯は「あとがき」にくわしく書かれているが、締め切りも文章量もかなりゆるい縛りで書くことができたらしく、内容にはそんな自由さがあふれていて、村上氏をとっても身近に感じることができた。ただ、とりあげるアーティストのジャンルについては、あまり偏らないようにという編集の注文があったのではないかという気がする。


登場する11人のアーティストのうち、まったく聴いたことがなかったのはウディー・ガスリーだけだが、この項にしても読み物としてとても興味深く読めたし、一昨年DVDで発売されたウディー・ガスリーの自伝映画「わが心のふるさと」(1977年日本公開/アカデミー賞撮影賞、歌曲・編曲賞受賞)も、借りて観てみようかという気になった。


3ヶ月ほど前、700枚以上入る自作のCDラック(わたしはたわし「瀧田式」参照)に収まりきらなくなった大量のCDをオークションで処分したのだが、その中に十数枚のシューベルトのソナタものがあった。聴きなおしてみても、やっぱりどうにも退屈で処分することにしたのだ。このときにあらためてシューベルトのソナタの多くから味わった退屈な気分が、そのままこの本の村上氏の文章から感じられて、なんだかうれしかった。村上氏は、その退屈さのなかにひそんでいる(らしい)シューベルトのソナタの味わいを、乾ききったスルメでも噛むように、じっくりと浮かびあがらせていく。この文章を読んでも、シューベルトのソナタをあらためて聴こうとか、ふたたび手に入れようという気にもならなかったが、「へえ、こういう音楽の味わい方もあるんだ」という、発見でもしたような気分にはなった。


この「退屈さ」は、ウイントン・マルサリスの項に至っては、目次にそのまま表示されてしまっている。おそらくウイントン・マルサリスのジャズを聴いたほとんどの人が感じているその「退屈さ」すら、村上氏は寛容?に味わおうとする。いままで音楽の嗜好は、好きか嫌いかしかないと思っていた私は浅すぎるというわけだ。


『ウィントンはこれから、自らの本質的(潜在的)退屈さを乗り越えていくことができるだろうか?もちろんそんなことは僕には分からない。〜(中略)〜僕はこれからもたぶん、ウィントン・マルサリスの音楽を聴きつづけていくだろう。不思議といえば不思議なのだが、時としてうんざりし、「退屈だ」とか「底が浅い」とか毒づきながらも、僕は彼の音楽からなぜか目を離すことができない。』(本文より引用)


「退屈だが、なにか聞き流せないものがある」というのだ。味わい方が深すぎて、私のような浅い感性じゃ溺れちゃいそうだ。


読み物としていちばん面白かったのは、ルドルフ・ゼルキンとアルトゥール・ルービンシュタイン。ちょうどアリとキリギリスみたいな対照的な二人のピアニストを、それぞれゼルキンの伝記とルービンシュタインの自伝をもとに、みごとに対比させて、ある種の人間論のように読むことができる。この項が面白いいちばんの要因は、何ヶ所かで引用している、ルービンシュタインの自伝が面白すぎるという点にある。ルービンシュタインのCDもシューベルトを手放したとき、いっしょに何枚か処分しているのだが、私のルービンシュタインの演奏の受け止め方は、村上氏のそれとほとんどイコールで、あらためて聴いてみる気にはならなかったが、自伝はすごく読みたくなった。このルービンシュタインの自伝(和訳本)は発行年が古く、残念ながら新本は手に入らない。アマゾンで検索したところ、古本が¥13,000円!であった。


村上春樹氏は、小説家になる以前、何年間かジャズ喫茶をやっていたほどであるから、ジャズミュージシャンのシダー・ウォルトンとスタン・ゲッツの項は、自らのライブ体験もふまえ、ほかのジャンルの項よりも生き生きと筆がうごいているように感じた。


ブライアン・ウィルソン、ブルース・スプリングスティーン、スガシカオも項も、それぞれ面白かった。スガシカオの項では、ステレオサウンド購読者であろう大半のオジサンたちのために、


『スガシカオ?そんなヤツのことは知らん。CDはドイツ・グラモフォンから出ているのか?」というような方のためにいちおうお断りしておくと〜』(本文から引用)


なんて語りで、ステレオサウンド誌の読者を揶揄するかのように、ていねいにスガシカオの紹介をしている。ぜんぶの項の中で唯一、フランシス・プーランクの項が、ほかの項とくらべてちょっと温度が低かったかな、というくらいであった。


とにもかくにも、最初にこのコーナーで紹介する本としては、あまりにも読みごたえがあり、このあと紹介する本が心配になっちゃうくらいだ。買って読んで損はない、と断言できる。

読みごたえ ★ ★ ★ ★ ★
マニア度  ★ ★ ★ ☆
役立ち度  ★ ★ ★ ☆
おすすめ度 ★ ★ ★ ★ ★

更新日 2020-04-26 | 作成日 2020-04-26