わいせつのしゃれこうべ

お笑いわいせつ裁判

2008年2月19日の新聞各紙(左はその後の記事)に「わいせつ性 最高裁否定」のニュースが掲載された。ロバート・メープルソープの写真集輸入をめぐる最高裁判決の記事だ。時代錯誤という言葉を使うしかない、なんとも間抜けな報道だった。


もともと原告は、すでに日本国内で出版流通していたこの写真集を、逆輸入しようとして税関に没収されたというから、あきらかに裁判を起こすために仕組んだ確信犯。10年がかりのへたくそな喜劇だ。10人の裁判官で「わいせつ」と判断した4人のうちの、1人の反対意見は次のようなものだそうだ。
「性器が露骨に、中央に大きく配置されていればわいせつ物だ。多数意見は写真集の芸術性を重く見過ぎている」


「わいせつ性」を問題にするときに、その概念の必要性をうたう理由のひとつが「青少年への悪影響」というやつだ。反対の判断をした裁判官達は、ロバート・メープルソープの写真集の男性器を見ると「青少年への悪影響」があるとほんとうに思っているのだろうか。もし悪影響があるとすれば、それはわいせつ性なんてものじゃない。
「性器が露骨に、中央に大きく配置されている。こんな巨大なものを見たら、男の子は劣等感にさいなまれるし、女の子はこれが標準サイズだと誤解してしまう。外人のサイズを軽く見過ぎている」てなものだ。


「わいせつ」なんていう実態のあやふやな概念で、子供たちが守られるとはとうてい思えない。我家の中学生の息子は、『エロサイトは見終わったら、かならず履歴を消しとけば親にバレない』と友だちからアドバイスされたそうだ。「健全な社会通念」は、もうとんでもないことになっている。ビニ本自販機の前でドキドキ震えて小銭を落としたりした、のどかな時代と違って、今の子供たちは、ちょっと目を離していると、エロ・グロのヘドロの津波に呑まれかねない時代に生きているのだ。

有害サイトから子供たちを守ろうという、法制化や具体的な手法の模索がやっとはじまっているようだが、「わいせつ」なんて、すでに形骸化した概念が、取り組む役人達のその大もとになっているとしたら、インターネットから発生する津波のスピードや大きさを、甘くみているとしか思えない。













更新日 2020-04-26 | 作成日 2020-04-26