ヨヨチュウ


AVの穴の中にある哲学

「ヨヨチュウ」の5文字で、共通認識を持てる人はイイ奴にちがいないと勝手に決めている。
ヨヨチュウとは、代々木忠(よよぎただし)。知るひとぞ知るAV監督だ。
代々木忠を知るきっかけは今では忘れてしまったが、おそらく彼の著書からではなかったか。以前AV(アダルトビデオ)を観る習慣はなかったが、代々木忠氏を知ってからは、彼の手になるビデオは、借りられるものはほとんど観た。再発売された過去の作品もかなり観ている。ほかのAVをほとんど観ていないので断言はできないが、代々木忠のつくるビデオには特別なものがある。
一般にAV(アダルトビデオ)というのは、男女を問わずマスターベーションやセックスのおかず(刺激剤)として観るものだ。だから、いかに扇情的に仕上げるかが問われるわけで、描写が過激であればあるほど人気は高いというのが基本だ。もちろん性の嗜好は千差万別であるから、フェチものから、デブ・老女ものまで、ありとあらゆるシチュエーションのビデオがある。
代々木忠のビデオは、ほかのビデオにくらべてモザイク処理をしたカットが少ないはずだ。彼のビデオに登場する女性は、その多くがAV経験のない素人だ。その素人女性をいろいろな手法で欲情させ、身も心もオープンになっていく様をカメラに収めていく。普通のAVのようなモザイクのかかった局部のアップなどはほとんどなく、男優とからむ女性の汗まみれの表情や、春画のようにのけぞる足の指などを執拗に捉えたりする。


代々木氏の1993年発行の著書「オープン・ハート—あなたの地獄を天国に変えるために」の中に、自身の自伝が記されている。要約してみた。
1937年九州小倉に生まれ、三歳で母を亡くし、ケンカにあけくれる荒れ果てた少年時代をすごす。そのケンカ沙汰で警察に追われ逃げた大阪で、花屋に住み込みで働き、つらい差別を受けながらも作法を身に付け、師範の免許をとるまでになる。病の妹を見舞うために久しぶりに戻った小倉で、少年時代の友と再会、極道の道へ入り込む。切った張ったで刑務所暮らしも度々あじわい、ヤクザの勢力争いの後、あるきっかけから足を洗うことになる。その後たまたま知り合ったコメディアンを通じて、ピンク映画に興味を持ち、そこからアダルト業界へ進むこととなる。
ヘタな啓蒙書を読むくらいなら、この代々木氏の一冊をお勧めする。この本のまえがきに、彼が書こうとしていることがおおよそ分かるであろう文章があるので転記してみる。


「〜(AV出演希望者の)面接ではほとんど全員に、私はオーガズムについての質問をする。私の質問に「SEXでイッたことがある」と答えた女性は全体の一割にも満たない。さらに失神までした人となると、二千数百人中数えるほどしかいない。
圧倒的に多いのが、「多分あれかなと思うけど、よくわからない」というもの。このように答えた人は、その後、現場でSEXしてオーガズムを体験し、「私これまでイッてなかったのがわかった」と、ほとんどみんなが言うのである。(中略)
〜どうして彼女たちはSEXでオーガズムを体験できないのだろう。(中略)
〜人間は理性に基づく〈制度の世界〉と本能に基づく〈本音の世界〉に生きている。学校や会社や国家は〈制度の世界〉に属しているが、SEXとは〈本音の世界〉のものだから、「かくあらねばならぬ」という制度のよろいかぶとをどこまで脱げるか、自分の価値観や固定観念をどこまで捨てられるかが重要になってくる。
本当は捨てたくても、捨てようとした時、人からどう思われるだろうかという自意識が邪魔をする。だがそれは、〈本音の世界〉に〈制度の世界〉の価値観や固定観念を持ち込んでいるということなのだ。
SEXが楽しめなかったり、見栄やプライドが捨てられなかったり、人からよく思われたいと思っていたり、SEXに一抹のやましさを覚えたりしては、オーガズムを体験できるわけがない。自分を大切に取っておいたまま、SEXでイクことなどできないのである。
オーガズムの原理はとても簡単である。しかし、オーガズムを体験するのはとてもむずかしい。なぜなら、オーガズムとは、〈制度の世界〉で自分を自分たらしめている自我=エゴから自分を解放する、〈エゴの崩壊〉であり〈エゴの死〉であるのだから……。
そして、SEXでオーガズムを体験し、エゴが死んだ時、人は本当の自分になることができるのだと私は考えている。〜(中略)
〜しかし、今の社会にあっては、人は〈本音の世界〉だけで生きていくことはできないし、〈制度の世界〉だけに生きるということもできない。私たちは、この二つの世界を振り子のように揺れつづけるほかないのである。振り子が両方の世界にバランスよく振れていればよいのだが、片方の世界に行ったまま戻らなくなると、人はいくつもの苦しみにとらわれれることになる。(中略)
〜では、いったい私たちが抱え込んでしまった苦しみの原因はどこにあるのだろう。そして、どうすれはその苦しみから私たちは自由になれるのだろう。」

今から15年前に書かれた本だが、おそらく状況は現在もそれほど変わっていないのではないだろうか。代々木氏のどの本も、とても深い内容だが、残念なことにこれらの本は書店では「サブカルチャー」という札がついたキワモノジャンルの書棚に追いやられてしまう。ぜひとも読んでほしい女性たちは、たぶんこのコーナーには立ち寄らないはずだ。いやいや、今はいい時代です。
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更新日 2020-04-26 | 作成日 2020-04-26