ヨヨチュウその2


代々木忠という癒し

1996年に放映されたNHKの連続テレビドラマ「存在の深き眠り 」(ジェームス三木/脚本)は、大竹しのぶ演じる多重人格(解離性同一性障害)の主婦市子と、細川俊之演ずる精神科医本堂との愛憎ロマンスを軸に描かれた秀作ドラマだった。カウンセリングしていくことで消えてしまう、別人格の市子を愛してしまった精神科医本堂の葛藤。多重人格についての知識が少ない者には、本来存在しない女(人格)を愛するという男女の関係は驚きですらあった。大竹しのぶ のはまり役といえる人物設定で、その鬼気迫る演技は、ふだん連続ドラマを観る習慣のない私までを毎週テレビに釘付けにした。当時ほかにこの役を演じられそうな女優といえば、元祖魔性の女、荻野目慶子ぐらいだったろうか。いや、普通の主婦の方が演じられないか。別人格の市子のヒモを演じた片岡鶴太郎、市子の夫を演じた中村梅雀も皆よかった。
ぜひもう一度観てみたいものだ。今年12月からは「NHKサービスセンター」が有料のアーカイブ事業を開始するらしいから、こうした過去の秀作ドラマが手軽に見られるようになるかもしれない。


さて、代々木氏の近年のAV代表作「ザ・面接」シリーズや「女が淫らになるテープ」シリーズの何本かには、そんな多重人格をもった女性が登場する。男優とからみはじめたその女性が、とつぜん別の人格になっていく様をカメラが記録する。ときには、それは少女であったり、すれた年増女のようであったり、幼児であったり。演技などでないことは観ればわかる。まったくのハプニングであるから、男優はときにはパニクり、ときには代々木氏の指示にしたがって、なんとか別人格の女性の相手をする。観ているこっちだってビックリ。普通のAVとはまったく別次元のものだ。だが、回を重ねるうちに何度もこうした体験をした代々木氏の態度はあきらかに変わっていく。おそろしく冷静に男優たちに指示を出したり、その女性に対しても愛に溢れた対応をとるようになる。


代々木氏の著書「マルチエイジ・レボリューション—多重人格者が開く迷走社会からの脱出口」は、そんな多重人格をもった女性との、壮絶なやりとりを描いたドキュメンタリーだ。精神科医の著書などと違って学研的な表現がないぶん、一年以上にもおよぶその女性とのやり取りの過程は、愛に溢れた癒しの波としてページを繰るごとに読者へと迫ってくる。女性が多重人格を持つきっかけは、そのほとんどが幼児期に本来守られるべき父母から受けた肉体的・精神的虐待や、レイプ体験などであるという。そんな秘密をかかえた女性たちが、ある種の救いを求め、癒しを求めて代々木氏に吸いよせられてくるのだろう。
彼の別の著書「代々木忠の愛の呪文」という本の中には、彼のこんな言葉が出てくる。


おれが問題を抱えているから
問題のある女を呼んじゃう
でもその女を癒しておれが癒される
相手を癒して自分も癒されるんだ




「マルチエイジ・レボリューション」の後半ページに、私が代々木作品に感銘し嵌まったいちばんの要因が、代々木氏の言葉で書いてあったので転記する。


「(AV撮影の)現場でいいSEXを体験すると、女の子は変わる。ビデオテープに残っている、SEXをする前とした後の女の子の顔。オーガズムが心を癒すということをなかなか信じられない人がいても、同じ女の子の二つの顔を見せると、「こんなに変わってしまうのか」とみんなが驚く。楽しみや苦しみのない人間はいないが、それらの一つひとつが人間の顔を形づくって入る。SEXでオーガズムを体験すると、その悲しみや苦痛からも自由になれる。だから顔つきまで変わってしまうのである。」


事実、代々木作品の中には、そんな女性たちがたくさんいる。出演当初、代々木氏や男優たちとの会話や面接をしているときの表情と、男優たちとの絡みが終わった後では、まるで別人のように顔つきが変化してしまうのだ。もちろん多重人格とは違うが、多くの女性たちは世間や社会にスポイルされることを恐れ「女としてこうあらねばならぬ」という仮面を顔に貼り付けて生きているのかもしれない。だが、そんな女性がセックスでオーガズムを体験できると、その仮面をいともたやすく剥がせるのだ。


代々木作品には通常のAVとは逆に、女が主導権をとり男と絡む「平成淫女隊」シリーズという、AVのビジネス的にはあんまり受けなかった作品群がある。「面接シリーズ」などで発掘した、セックスのパフォーマンスがすごい女性たちを「淫女隊」と称して、男の心まで裸にしようとする試み。女性以上に社会通念に縛られて生きている男達こそ、その身にまとった心の鎧を脱ぎさることができたとき、我を忘れるほど深く感じ、エクスタシーを得られる、という代々木氏の持論に沿ったものだ。
この「平成淫女隊」シリーズ、出演する男性がAV男優のとき目立つパフォーマンスが見られたのは、セックスという行為を生業にしている彼らだからこそ、逆に心の繋がりの大切さに敏感なんだと気づかされる。
「男らしさ」にがんじがらめの素人出演者たちは、その「男」を捨てることができぬまま、つまらないセックスに終始して淫女隊に飽きられたりする。男たちの着ている「男らしさ」という鎧は、すでに人格の一部でもあるかのように重く手ごわく張付いている。脱ぎ捨てたときの喜びをしらぬまま、「男」を脱ぎ捨てることに恐怖し苦悶する。「ザ・面接」シリーズで、多くの目線に晒されながらも、次第に男優との絡みに没頭できてしまう女性たちのすごい適応力?・柔軟性とは雲泥の差だ。



更新日 2020-04-26 | 作成日 2020-04-26