わたしのばあい

■小学一年生の筆者 なかなか賢そうな顔をしている。


世の中には、自分が子宮の中にいたときのことまで記憶している人がいるそうだが、私は自分の小さいころのことはあまり憶えていない。だから、生まれつき胃腸虚弱だったのか、いつから胃腸虚弱になったのか、はっきりしない。胃腸虚弱とは直接関係ないが、ひとつだけ心当たりがあるできごとが、小学校一年生のときにあったことを記憶している。

それは授業中のこと。オシッコがしたくなったのだ。たぶん休み時間に遊んでいて、トイレに行くのを忘れたのだろう。担任の女教師に訴えると、なんとトイレに行かせてもらえず、教壇の脇に立たされた。皆から見られて恥ずかしいのと、オシッコを我慢するひっ迫感から、このときのできごとが「トラウマ」になってしまった。

それからは、オシッコが溜まっていないのにトイレに行くとか、遠足のバスの中など、トイレに行けない状況になると、オシッコがしたくなるという、脅迫症状が付きまとうようになってしまったのだ。私の母親は、老いた今でもそのときの担任の女教師をうらんでいる。

小学三年のころのこと。町内会で運営している「はやぶさクラブ」という子供会があった。夏休みの催しもので、皆で近くの「後楽園ゆうえんち」のプールに行った。でも真夏だというのに、プールの水はすごく冷たかった。三十分ぐらい水遊びをしていると、お腹がキュルキュルしだして、トイレへかけこんでしまった。このころには、すでに下痢症が現れていたのだと思いう。ちょっとお腹が冷えると下痢する。ちょっと食べ過ぎると下痢する。熱いものや、辛いものなど刺激のあるものを食べると下痢する。そんな子供時代。下痢すると、母親が「正露丸」を2錠、丸いオブラートに包んで、嫌がる私の口を無理やりあけて飲まされた。今でもクレオソートの匂いがすると思い出す。

高校を卒業して公務員として働きはじめた。勤め先の大森保健所まで、水道橋から山手線に乗り換えて京浜東北線で大森まで。大森から職場までを東急バスで通うのだが、その間のどこに公衆トイレがあるのか、使わせてもらえるトイレがあるのか熟知していた。でないと心配でしょうがないのだ。毎日が「ストッパ」状態。

その昔、春闘の時期、奉公している公務員組合でも大きな赤旗を何本も立てて、勤務する保健所の入口でピケをはっていた。その朝も、バスの中で限界まで我慢していた私は、脂汗を浮べながら走ってトイレに駆け込もうとしたのでだが、組合の人達から阻まれた。「おまえ裏切る気か!」と、組合の元気のいい若い衆に腕をつかまれて、中に入れさせてくれない。私ももちろん組合員。肛門をヒクヒクさせ油アセを額に浮かべながら、なんとか必死にごまかして、トイレにたどり着いたのだが、もう少しで、組合の皆さんの前で漏らすところだった。今思いだしても冷や汗が流れてきそな思い出だ。こんなふうな、似たり寄ったりの生活が、今から10年ほど前までずっと続いていたのである。

更新日 2020-04-26 | 作成日 2020-04-26