でらデラびな

2008.2.29

人形はこわい

ジェンダー論をふりかざす人は、女の子にお人形、男の子に自動車のオモチャを与えることで、幼少期の性差を強制しているという。私の息子の幼少期をふりかえると、親が強制するまもなく「硬い玩具」に手を伸ばしていた。友人の男の子は、小さいときからお人形のほうが好きだったそうだ。繊細な男の子に育っている。男と女の性差というものは、もっと深いDNAとかのレベルで決まることなんだと思う。


小学校低学年の頃、私はいつも女の子のお友だちと遊んでいて、おままごとやゴム縄跳びばかりしていた。たいていの女の子遊びにはつきあっていたが、お人形遊びだけは敬遠していた。お人形に感情移入して話しかけたりしている女の子の姿は、なんだか気持ち悪かったのだと思う。今でも悔やまれるのは「お医者さんごっこ」を経験できなかったことだが、お医者さんごっこには、人形が必要だったのだろうか。


人形の呪いとか、人形が血の涙を流したとか、人形にまつわるこわい話はいっぱいある。人形にかぎらず人の形をしたものには、なにか憑依するような気がするのだろう。「丑の刻参り」なんていう呪いの儀式も、あの人の身体を模したわら人形の心臓のところへ五寸釘を刺すからこわい。(「丑の刻参り」セットはインターネットで手に入る!)


久世光彦さんの小説「早く昔になればいい」には「しーちゃん」という美しい狂女が登場する。そのしーちゃんの狂うきっかけには「人形」がからんでいた。しーちゃんの母親は、夫の情婦を呪うためにある儀式をおこなった。それは、深夜誰にも知られないよう林の中で、地面に穴を掘りそこに自分の持っている人形を一体置く。そして呪いながら火をつけ、最後にその穴に跨がって自分の小便でその火を消すのだ。母親のおこなったその儀式の、一部始終を覗き見たしーちゃんは、狂ってしまったのだ。おーこわい。


そんなこわい話ばかりの人形だが、とんでもなく陽気な人形の存在を最近知った。下の写真をご覧いただければ分かると思うが雛人形だ。このお雛様、御殿造りという形式の名古屋版のお雛様なのだそうだ。すごいキンキラキンの御殿の屋根には「シャチホコ」が輝いている!





私もこの写真で見ただけだが、思わず吹き出してしまい「なんてゴージャスなんでしょう」と揶揄したら、お雛様の持ち主は「ゴージャスではなくデラックス」なんです、と。そして持ち主は、この名古屋的金ぴか感覚が小さいときから馴染めなかったそうだ。どえりゃあデラックスなお雛様「でらデラ雛」なのだ。じっくりと眺めていると、このキンキラは女雛の御殿で、男雛はマスオさんしている、という確信が持ててしまう。こんなところに住むのは覚悟がいるだろうなー。

更新日 2020-04-26 | 作成日 2020-04-26