文化マンション

2008.4.30

空がない

「くうどう・・くう、くう、そら、だよなあ・・・そらそらそら・・・」


仕事の打ち合わせ中に「空洞」と漢字で書こうとして、ボールペンを持った手が止まってしまったことがある。「空」の字が書けないのだ。頭の中のどこにも「空」のカタチがない。後頭部から肩口にかけてゾワゾワっと血の気が引いていった・・・。「空」が出てこないから「洞」も出てこない。恥ずかしいのを隠そうと「わーどうしよー、そらっていう字がでてこないょー」と、ふざけたふりでおおげさに両手を頭に乗せて、打ち合わせしていたコピーライターにアピールした。彼がオリエン資料の脇に書いてくれた「空」が天地逆に現われたとき、あらためてぞっとした。


「・・・くうどうの「どう」ってどう書くんだっけ・・・」


同じような危機感を味わった人がおおぜいいるのか、ただ勉強が好きなのか「漢字検定」が流行っている。わが家の家族も昨年二級と六級というのにチャレンジして、二人とも落ちた。漢字が書けないのは、ワープロが普及したためだという指摘があるが、ほんとうだろうか。


「空洞」の漢字が出てこなかったのは、おそらくプチボケがはじまって、一時的に記憶がそれこそ空洞になっていたのだろう。だが「薔薇」みたいな普段使うことがない漢字は、もともと漢字を知らないから書けない。だからワープロで変換して使ったことがあっても書けない。書かないから忘れるより、書いたことがないから覚えられない。書かなくなったから忘れたっていうのは、知らなくて書けなかった方便か。


ワープロの普及のために、たしかに漢字は書かなくなった。しかし、メールを使うようになってから、メールが登場する以前より明らかにたくさん文章を書いている。ホームページを起ち上げてからはなおさら、こんなに文章をつくるのは生まれて初めてのことだ。


これだけの量の文章を、もし手書きで書き留めるとなると、おそらくたいへんな時間がかかることだろう。ワープロだから、いいかげんに書きだしてもすぐ修正できるが、筆記具で書いては消しをくり返していたら、途中で投げ出したくなるかもしれない。簡便なワープロのおかげで、こんなふうに緊張感のない駄文でも、ダラダラと平気で書きとめることができる。


文章力がつくことを、日々渇望している私が居住しているマンションには、その文章力を駆使して稼いでいる方が3人もいる。20数世帯の小さなマンションだがらかなりの割合といえる。ご隠居のご近所自慢ではないが、著述家と呼ばれるような人が居住されていると、なんだかマンションのグレードまで高まるような気がしちゃうのだ。


その一人は、新築当時から居住していた、フランス文学者「奥本 大三郎」氏。
翻訳・エッセイなど多くの著作があるが、「ファーブル昆虫記」の翻訳は有名で、昆虫好きがこうじて、一昨年マンション近くのご自宅を建て替えて、NPO
ファーブル昆虫館『虫の詩人の館』」をつくって館長をされている。

もう一人は、やはり新築時から居住されている、経営コンサルタント「林 總」氏。本業の知識を活かして、会社会計という難しい分野で、小説仕立てで分かりやすく会計を説いた「餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか?」でベストセラーを出すなど、この分野では異色の著作を重ねている。

そして三人目の居住文化人は、宗教評論家の「ひろ さちや」氏。
この名前はペンネームなので、マンションに途中入居されたときには気がつかなかったが、マンションの隣にあった書店のおやじさんから聞いて知った。マスコミにもよく登場されるので、ご存じのかたもおられるはずだ。我家の書棚にも一冊著書があった。その著作は400点以上もあるそうで、近作「「狂い」のすすめ 」をはじめ、宗教から人生哲学に至る多くのベストセラーを執筆している。



このコラムを書き終えて新聞をめくっていたら、4月27日の日経新聞「春秋」欄に目がとまった。『どうして「文学」は「文楽(ぶんがく)」ではないのか。「音楽」は「音学」ではないのに。』という書き出しで『文学とは、万葉集の昔から「学問」ではなく「芸」ではないのか。』というような主旨。的を得ているんだかいないんだか微妙な主張だが、勝手に解釈を変えて「文」を「楽」しむという態度で、気張らずに音楽を楽しむように文章を書けばいいや、と一人納得した。


更新日 2020-04-26 | 作成日 2020-04-26