試聴エクスタシー

2008.2.20

デパ地下での試食は勇気がいる。小分けして楊枝を刺したのをトレーに並べて、試食している客の様子を「買わずに帰らせないわよ」と言わんばかりのつくり笑顔で待つ、売り子のオバサン。試食したものの、たいして美味しいと思えなかったり、もともとあまり買う気がないまま試食したりで、口の中で食材をモグモグさせながら、どういって断ろうかと頭の中で葛藤がおきる。試食しなけりゃよかった、と後悔の念までわきあがってくる。試食はだからいつも「後味」が悪い。試食すらしなかったかのように、平気な顔して その場をあとにできる厚顔なオバサンに、敬意を抱きそうになる。
オーディオを販売している店では、たいてい試聴ができる。あのプレーヤーとそのスピーカーとこのアンプで試聴がしたい、と店員に頼むのには、試食どころではない相当な勇気がいる。トレーから楊枝に刺さった食べものをつまむより、ずっと面倒なことを店員に頼まなくてはいけないからだ。しかも持参した試聴用のCDが「吉 幾三」だったりすると、勇気だけじゃない何かがなけりゃ、試聴などできそうもない。さっきまでかっこつけてジャズを流していた試聴室に「すきよ〜あなた〜」なんて演歌が流れはじめると、店員の表情がこわばるのを感じたりもする。最初から買う気がなくて試聴をするというのは、私にとってはほとんど不可能なことだ。
だが、そんなことをまったく気にせずに試聴ができる場がある。メーカーのショールムでの試聴イベントというやつだ。もちろん、オーディオショップで好きな組み合わせを試聴するようなことはできないが、持参した「吉 幾三」だって勇気さえ出せば試聴することも可能だ。
最近印象に残る試聴をしたのが「REQST」というブランドだ。「レゾナンスチップ」といえば知っている人、使ったことのある人も多いはず。あの「レゾナンスチップ」を開発・販売したメーカーである。その「REQST」が開発したDAコンバーターの試聴会があると「Pile-web」というオーディオ情報サイトで知った。なぜ印象に残っているかというと、このメーカーのショールームの所在地が、私の実家と目と鼻の先だったからだ。
地元の人は、白山通りから一本入った「REQST」があるこの裏通りをむかし「中通り商店街」と呼んでいた。夏の七のつく日には、ずらりと夜店が出ていた。今ではすっかり寂れてしまった商店街だが、このあたりはその昔、場末の遊廓があったところで、子どもの頃は路地裏の木造の置屋から三味線の稽古をする音が路地裏に流れていたものだ。「REQST」から100メートルくらい歩いたところにある実家の左隣は、その当時3階建てのりっぱな娼家だった。昔を記憶する者にとっては、とてもオーディオメーカーのショールームができるような場所ではなかったのだ。ちなみに「REQST」から50メートルくらい実家に寄ったこの通りのまん中で、白昼ウンコを漏らしたことがある。小学三年生の夏休みのことだ。
話が大きくそれたので元に戻すが、この「REQST」で試聴した DAコンバーター「DAC-NS1S」は、素晴らしいものだった。エソテリック、CEC、SOULNOTE、各社のCDプレーヤーに繋いでの試聴を聴かせてもらった。違いが分かり易かったのは、マイルズ・デイビス「MY FUNNY VALENTINE IN CONCERT」での試聴だった。1曲目の MY FUNNY VALENTINE冒頭、マイルスのミュートトランペットの音が、CDプレーヤー単独だと、どのプレーヤーもビリついて聞こえる。だが「NS441D」を繋いで再生した音には、そのビリつきがない。どのプレーヤーもスムーズに伸びる音になる。
■ラック上段の機器がDAコンバーター「DAC-NS1S」だ。その下のシルバーの機器は SOULNOTEのアンプ「sa1.0」。
持込み試聴タイムで、私は「吉幾三」ではなく「おおたか静流」の「恋文」というアルバムの一曲目「京都慕情」をかけてもらった。このCDはほとんど世の中には知られていないが、なかなかの優秀録音盤で、私のリファレンスCDの一枚。さっきまでジャズやクラシックが流れていたショールームで、ほかのお客は当惑しただろうが、なかなか良い音で鳴っていた。
その場で注文しようかと思うほど、いい感じで全部のCDプレーヤーを魅力的に聴かせた「DAC-NS1S」だが、ひとつだけどうしてもひっかかる点があった。出力がアンバランスとバランスふたつあり、セレクタースイッチがついていることだ。意図的にセレクトできるよう開発したという説明があり、何曲か切替えて音の違いを聞かせてくれた。つまり出力の違いですごく音が変わるのである。
マランツの CDプレーヤーで、切替えスイッチで音色を選べるというのがあったが、アンプのイコライザーとかである程度自由に音色をコントロールするというのでなく、機器自体に最初から二つの音色があるというのは、なんだか表と裏があるというか、二重人格みたいでいやなのだ。(つづく)

更新日 2020-04-26 | 作成日 2020-04-26